
白装束の氏子に担がれ202段の表坂を下る大みこし
浜に春呼ぶ大みこし 塩釜神社・帆手まつり
みなとまち塩釜に春を告げる火伏せの神事として、江戸時代から327年の歴史を誇る塩釜神社の帆手(ほて)まつりが10日、宮城県塩釜市内であり、重さ1トンの大みこしが夜まで市中心部を練り歩いた。
正午過ぎに稚児行列などが神社を出発。道を清める塩まきに先導され、白装束の16人の氏子に担がれた黒漆塗りの大みこしが、202段の表坂をゆっくり下った。無事に下り終えて鳥居をくぐると、大勢の見物客から拍手が起きた。
みこしは鐘や太鼓の音とともに商店街や海岸沿いをゆっくり進み、午後8時すぎ、再び表坂を上り神社に戻った。沿道には市民が集まり、みこしにさい銭を投げ入れて、家内安全などを祈っていた。 河北より
●鹽竈神社(しおがまじんじゃ)は、宮城県塩竈市にある神社で、陸奥国の一宮である。全国にある塩竈神社(塩釜神社とも表記する)の総本社。塩土老翁神を主祭神とし、武甕槌命、経津主神を祭神とする。明治時代に、式内社の志波彦神社(しわひこじんじゃ)が境内に遷座し、現在は一つの法人となっている。
塩土老翁神は海や塩の神格化と考えられる。神武天皇や山幸彦を導いたことから、航海安全・交通安全の神徳を持つものとしても見られる。また安産祈願の神でもある。
鹽竈神社境内には、シオガマザクラという重要な桜の一種があり、毎年メディアに取り上げられるほど有名である。また、塩竈みなと祭の際には、鹽竈神社が祭りの出発点となり、塩竈の街と密接な関わりを持っている。
歴史
志波彦神社は『延喜式神名帳』に名神大社として記載されている。多賀城への交通の要所に位置し、朝廷からも崇敬されていたが、中世以降は衰微し、岩切村の牛頭天王社に合祀された。
鹽竈神社は、武甕槌命・経津主神が東北を平定した際に両神を先導した塩土老翁神がこの地に留まり、現地の人々に製塩を教えたことに始まると伝えられる。式外社ではあったが、『弘仁主税式』によれば国司より祭祀料を受けており、当時から重要な神社とされていたことがわかる。仁和4年(888年)以後は大神宝史発遺の対象社として国内随一と認められる。奥州藤原氏など歴代の領主からも崇敬された。伊達政宗は仙台城築城の際に社殿を修造し、以降、歴代の仙台藩主が手厚く保護した。藩内に異変があると末社の竈神社の竈の水が変色したという。
明治7年(1875年)、志波彦神社を別宮本殿に迎え、昭和9年(1934年)には新たに社殿を設けた。明治4年に志波彦神社が、明治7年に鹽竈神社が国幣中社に列格した。
文化財
重要文化財
左宮本殿
左宮幣殿
右宮本殿
右宮幣殿
左右宮廻廊
左右宮瑞垣
左右宮拝殿
別宮本殿
別宮幣殿
別宮廻廊
別宮瑞垣
別宮拝殿
門及び廻廊
随身門
鳥居
鹽竈神社別宮 拝殿
鹽竈神社右宮・左宮 拝殿
鹽竈神社 楼門
志波彦神社 拝殿
[編集] 全国の塩釜神社
塩竈神社 (和歌山市)
塩竈神社 (名古屋市)
塩竈神社 (鎌倉市)
塩釜神社 (松本市)
塩釜六所神社(新潟県粟島浦村)
[編集] 鹽竈神社ゆかりの地
「塩竃公園の森」(宮城県塩竈市)
鹽竈神社表坂の前の大通りを隔てた所にある。按察使だった源融の別荘地。源融は、源氏物語の主人公光源氏のモデルとされる。
「塩釜公園」(東京都港区新橋5丁目)
仙台藩の江戸屋敷跡にある鹽竈神社前の公園。1930年(昭和5年)、東京府東京市芝区で唯一の町立公園として開園[1]。仙台藩の江戸屋敷は、伊達政宗の頃は外桜田(千代田区日比谷公園)とここ愛宕下にあったが、1641年(寛永18年)に汐留に移った。汐留の屋敷跡は(初代)新橋駅、汐留駅と移り変わり、現在は汐留シオサイトとなって日テレタワーが建つ。
「本塩竃町」(京都市下京区本塩竃町)
源融が按察使の任を終えて京に戻り、自邸内に塩竈の風景を模して設けた庭から名付けられたといわれる。六条河原院(現在の渉成園)、塩小路通など参照。
「塩竃公園」(鹿児島県鹿児島市新屋敷町)
天文館の南側にある清滝川沿いの公園。
[編集] 脚注
^ 塩竃神社(宮城県東京事務所)
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2008/03/30(日) 20:40:14 | 塩竈で暮らす。
