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2007.10/05 [Fri]
★月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也

★月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也
1967年10月18日の夕方、羽田空港に降り立った一人の18歳の女の子に、日本人の注目が集まった。「ミニの女王」と呼ばれた英国人モデルのツイッギー。彼女の人気は、日本にも押し寄せていた世界的なミニスカートブームの象徴だった。今ではおなじみの服装の流行現象だが、60年代のミニスカートの登場は、欧米でさえ「品位を落とす」と反発の声が上がるほどの衝撃を与えた。風俗史家の井上章一氏の寄稿と、日本を代表するファッションデザイナーとして60年代から海外でも活躍した森英恵氏へのインタビューを通し、当時のミニブームが意味したものを探ってみる。
◇服装の自由めぐる転換点 欧米でも「犯罪誘発」と物議かもす−−井上章一
肌があらわにでる女性服を、イスラム社会は、なかなかうけいれない。ところによっては、顔までふくめ、全身をおおいかくさせようとする。女性の肌で、男性がそそられてしまうことを、さけるためである。
欧米のいわゆる先進国に、そういうおしつけはあまりない。女性が手脚を、場合によっては腹部をさらすいでたちも、今はまかりとおっている。肌をだすことが、イスラム圏より、大目に見られているのである。
しかし、一九六〇年代にミニスカートがはやりだした時は、そうでもなかった。ふとももが見える。下着のパンツまで、のぞきそうになる。それがいかがわしいと、あちこちで物議をかもすことになった。
たとえば、ローマのバチカン宮が、ミニスカートでの礼拝を禁じている。アメリカのある法廷は、ミニスカートの女性に、傍聴をゆるさなかった。どこそこの街では、スカートが短すぎるという理由で、女性が警察に連行されている。一九六〇年代の新聞雑誌をくっていくと、よくそんな記事にでくわす。
パリやロンドンの警察当局は、ミニスカート姿の女性に、警告もだしていた。そんなかっこうをしていると、性犯罪にまきこまれる。こころせよ、と。いわゆる西側先進諸国にも、イスラムとよく似た因習的な服装観はあったということか。
日本の警視庁も、この点では神経をとがらせていたらしい。一九六七年の七月には、「性的犯罪発生原票」の書きかたを、あらためている。被害をうけた女性の服装が、なんであったかを書きとめる。その欄に、新しく「ミニスカート」という選択項目を、もうけたのである。
ミニスカートが、性犯罪につながるかどうか。その可能性を、見きわめようとしたわけだ。
警察当局には、ミニスカートをにがにがしくながめるむきも、けっこういたという。しかし、そのとりしまりへのりだすことは、けっきょくてびかえた。最終的には、服装の自由をおかせないと、そう判断したのである。
話はさらに、四十年ほどさかのぼる。女性の肌や下着がすけて見える、いわゆる薄物が一九二〇年代に流行した。絽(ろ)でできたシースルー状の和装が、人気をよんでいる。
当時の警視庁は、これをゆゆしき事態だと考えた。一九二五年の五月からは、薄物姿の女性をいましめだしている。往来をゆく女性の服装が目にあまれば、巡査がそれを注意する。そのかっこうはやめなさいと、さとしていく。以上のような方針で、この流行にはのぞむことを、きめたのである。
女性が挑発的なよそおいであるくのは、よくない。男性の性犯罪を、誘発する。そうした事態は、あらかじめふせいでおかなければならない。そんな思惑から、当局は薄物への警告にふみきった。この時には、服装の自由より、治安のほうが重んじられたというべきか。
痴漢におそわれる。強姦(ごうかん)をされてしまう。そんな事件のあった時、ひところは被害者のこころがけなども、よく問いただされた。肌をだして表をあるいていたお前にも、すきがあったのではないか。ちゃらちゃらしたかっこうで、物ほしげにふるまっていたお前にも非はあった、と。
今でも、こういうふうに考える男性は、いるだろう。しかし、なかなか、そう正面切って言いづらい御時世に、昨今はなっている。たとえ、被害者がどれほど挑発的なかっこうをしていても、おそったほうが悪い。そうみなす度合いが、ひところより、よほど強くなってきた。
女性のいでたちをもせめた時代から、男性のふるまいをより強く問う時代へ、うつっていく。一九六〇年代の警視庁は、その転換点にいた。ミニスカートの流行は、橋わたしの役をになった現象としても、記憶にとどめたい。(いのうえ・しょういち=国際日本文化研究センター教授)
◇「隠す」服から「見せる」服へ ツイッギーの美に新しさ−−ファッションデザイナー・森英恵氏に聞く
−−ツイッギーの来日は印象に残っていますか。
森 私は当時ニューヨークで仕事をしていたので会ったことはありませんが、彼女は世界的にとても有名なモデルでした。背があまり高くないのですが、脚がすごくきれいで。そのころはロンドンがファッションの中心で、まずマリー・クワントというデザイナーが短いスカートを出し始めたんです。一方で、まだ一般化していなかった女性のパンツスタイルを、フランスのクレージュが発表したのも注目されました。
−−ちょうど女性のファッションの変わり目?
森 そうですね。ツイッギーは従来の女性美とは違うイメージでした。ショートカットの可愛い、少年のような子供っぽい人がミニスカートを身に着けて日本にやって来たわけです。
−−日本でのミニブームをどう見ていましたか。
森 比較の問題ですが、一般に日本人の脚は短く、膝(ひざ)が大きい。まさに「小枝」のような脚のツイッギーのようにはいきませんよね。でも、69年11月の佐藤栄作首相訪米の時には、夫人(寛子)のミニドレスを私がデザインしました。夫人は脚のきれいな人でした。
−−羽田空港の飛行機のタラップで手を振るシーンが話題になりました。
森 それがサックドレス(ワンピース)で、手を上げるとスカートの裾(すそ)が上がってしまうので、テレビで見てハラハラしたのを覚えています。
−−発祥の地ロンドンには、パリへの対抗意識もあったといわれますが。
森 ロンドンは歴史もあるし独特の雰囲気を持つ文化がありますから、全盛だったパリのオートクチュール(高級注文服)に対する競争心があったと思います。そういえば、61年にパリを訪れ、自分のシャネル・スーツを作ったことがありますが、その時、仮縫いをしてくれた人が「女の膝は実用品だから、スカートの丈は絶対に膝下であるべきだ、とココ・シャネルは言っている」と話していました。
−−戦後日本の服飾史上でも、画期的なブームだったといわれます。
森 そう思います。それまでの服は身体に巻きつけて「隠す」ものでしたが、それが「見せる」ものに変わりました。ファッションという言葉が身近になった時代です。私は日本航空の客室乗務員のユニホームもデザインしましたが、70年のジャンボ機就航に合わせて、国際線にミニドレスを導入しました。流行だったのと、まだ日本からの海外旅行者が少ない時代で、彼女たちが日本女性の代表として世界中に飛んでいくことも意識しました。
−−60年代と今の日本との大きな違いは何だったのでしょう。
森 まだエアコンも普及しておらず、畳の部屋でこたつに入るといったように、日本人のライフスタイル全般が日本風でした。靴を履いて家の中を歩くわけでもなく、舗装されている道も少ない。そうした生活でしたから、西洋の暮らしの中ではぐくまれてきた洋服を着せるというのは難しかったですよ。
−−これからのファッションの課題を。
森 二つあると思います。まず女の立場が強くなって、あまり結婚したくもなく、子供も産みたくない「独立した女」の増加が一つ。もう一つは、地球環境問題です。安くて丈夫な合成繊維が一般的な素材として使われてきましたが、今後は自然素材をいかに使うかがポイントになってくるでしょう。
◇ ◇ ◇
森英恵氏(もり・はなえ)1926年生まれ。東京女子大卒。51年、新宿にスタジオを設立。65年にニューヨーク進出。77年以降はパリで活躍した。04年に第一線から引退。著書に『ファッション』など。毎日JPより
★10年前より男性はふっくら、女性はほっそり
10年前より男性はふっくら、女性はほっそり――。経済産業省は1日、約7000人のデータから日本人の平均的な寸法などを調べた報告書を公表した。
衣類のL、M、Sサイズなど、工業製品の規格を決める際の基準となる。
報告書によると、約10年前に実施した前回調査に比べ、男性は40歳代で身長が約3センチ、体重が4キロ・グラム増加するなど、30歳以上のすべての年代で体が大きくなり、肥満傾向が進んでいることがわかった。
一方、女性は40歳代で身長が約3センチ伸びたが、体重は約1キロ・グラム減るなど、25歳以上のすべての年代でスリムになっていた。
調査は2004〜06年度に、東京、大阪、兵庫で、19歳から80歳までの男女計6742人を対象に実施。身長や体重、胸囲など約160項目の寸法と、全身や手足、頭などの形状約80項目について計測した。
その上で、92〜94年に実施した前回調査と比較した。
経産省は「男性が食生活の充実や運動不足などで大きくなる一方、女性はダイエット志向などで細くなっているのでは」と分析している。読売新聞より
一言 時代は移り変わるものですね。現在はもっと多様化してスカート長けにしてもマイクロミニ、ミニ、ミディ、ロングと自分にあったもの、TPOなどを考えてファッションを楽しんでいるようです。
ミニが流行った当時は大根脚にミニでしたが今はみんなツイギー風になりました。
そういえば、ジーンズも会社に穿いて来てはいけない時代がありました。









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