多情多感な美青年の主観的ブログで 時折々に感じた事や丸秘情報、季節歳時記やみちのく地域のニュースを発信します。
金は「動」と「静」の合作 五輪マラソン・ワンジル

1渡辺
ワンジル選手の高校時代を語る渡辺総監督=仙台市宮城野区の仙台育英高宮城野校舎

 北京五輪陸上男子マラソン(24日)で、金メダルに輝いたケニアのサムエル・ワンジル選手(21)は、留学生として過ごした宮城・仙台育英高時代に非凡な才能に磨きをかけた。優勝インタビューで「我慢を学んだ」と話した3年間。同校陸上部で指導した渡辺高夫総監督(61)に、ワンジル選手の原点の日々を振り返ってもらった。(聞き手=スポーツ部・村上朋弘)

<「チーター」> 
 15歳で来日した時は、きゃしゃだった。しかし、走らせてみるとフォームが素晴らしく路面のとらえ方にロスがない。滑るように走る。「チーター」とあだ名を付けた。マラソンで天下一品の選手になる予感はあった。
 ケニア人選手は最初から全力で走り、息切れする。練習ではだから「我慢、我慢」と言い続けた。ただ、留学生の誰もがその意味を理解し実践できるわけではない。

 サム(ワンジル)はまじめで何事にも妥協しない。「我慢」を理解できた大きな要因だろう。きつい合宿から帰った翌日でも、早朝からいつも通り走る。遠征バスの清掃もサボったことがない。それが3年間続いた。

 もう一つは仙台育英留学生制度の20年の伝統。1年時にきっちり日本語を学ばせる。陸上部ではアニメを活用した。「ちびまる子ちゃん」はよく見ていたな。書道にも取り組み、高校留学生の書展で入賞したこともある。今回の金メダルは、ケニア人の身体能力という「動」と、「静」の日本文化の合作とも言える。

 とにかく人懐っこい性格。銭湯が大好きで、週に1度は誘われた。選手4、5人と出掛けるたびに、わたしの小遣いが減ったよ。体にいいと話すと、納豆や豆腐も食べた。すべてに貪欲(どんよく)だったね。

<「神の領域」>
 2004年、3年時の全国高校駅伝では3区で区間記録を47秒更新、優勝の原動力となった。2時間1分32秒の高校国際新記録を、わたしは「神の領域」と名付けた。前人未到の意だけではない。まじめなサムと、彼に食らい付き成長した主将の佐藤秀和(現トヨタ紡織)をはじめ、努力を怠らなかった選手たちを「神」に例えた。仲間としての一体感があったからこそ生まれた記録だ。

 留学生は経済的に恵まれない家庭が多い。サムは卒業してからも、仙台に帰ったり、遠征先で後輩たちと一緒に練習したりした際には、靴や靴下、ウエアを贈っていた。留学生たちの実家にも仕送りをしているらしい。

<1分台挑戦> 
 近年の高校駅伝は、ハイスピードで入り、中盤は我慢して、後半のスプリント力で勝負する。高校駅伝は7人だが、今回の五輪のレースは、それをサム1人で成し遂げた。逆に言えば、そうしたレース運びは駅伝を通じて培われていた。

 マラソンの世界記録は2時間4分26秒。まずは3分台を狙ってほしいが、将来は自分がかかわった高校駅伝の2時間1分32秒に挑戦してほしい。北京の優勝タイム2時間6分32秒が五輪記録を3分近く短縮していることを考えると、不可能ではない。日本に帰ったら記者会見で、1分台挑戦を一緒に宣言してみたい。

[わたなべ・たかお] 1947年福島県田村市出身。福島・日大東北工高(現日大東北高)―大東文化大を卒業後、埼玉・埼玉栄高陸上部監督。87年の全国高校駅伝男子で優勝。実業団監督、アトランタ五輪中長距離コーチを経て99年から仙台育英高監督(社会科教諭)。1年目の全国高校駅伝で男子を6年ぶり2度目の優勝に導くなど9年で優勝6度。今年3月に定年後は総監督となり、卒業生の絹川愛選手(19)=ミズノ=らを指導している。 河北より
1桃子
米国から帰国し、国内女子ツアーに参戦している上田桃子を悲劇が襲った。「ヨネックスレディス」が開催される今週、会場となる新潟県のヨネックスCCで、自身が慈善活動の一環として行っている「桃犬プロジェクト(盲導犬普及の為のチャリティ)」の中間発表を行った上田だが、盲導犬(*)とのフォトセッションの際、大勢のカメラマンのフラッシュに驚いた盲導犬が、突然走り出した。

あわてて引き綱を掴もうとした上田が、「痛いっ!」と声を上げた。なんと、引かれた綱に引っ掛かって、左手中指の爪を剥がしてしまったのだ。地面には、無残にもはがれた爪が落ち、指からは鮮血が滴った。しばらくその場で指を押さえて動けない上田。苦しそうに顔をゆがめ、痛みで目には涙が浮かんだ。

イベントはそのまま中断。上田は、関係者に付き添われてクラブハウスに引き上げ、そのまま、近くの病院に直行した。現時点で上田の容態は伝わっていないが、爪を剥がした場合、復帰にはしばらくの期間が掛かることが予想される。この試合の出場は絶望的。国内メジャーも迫っているが、上田の参戦は微妙な状況となってきた。

*この日出席した盲導犬は、財団法人日本盲導犬協会仙台訓練センターから派遣されたPR犬で、「桃犬プロジェクト」によって支援、育成された盲導犬ではなかった。


上田桃子は16位と変動なし 藍、さくらはダウン/女子世界ランキング08/26
★女子賞金ランキング
USLPGAツアー第24戦目は、アメリカ西海岸オレゴン州ポートランド開催となる「セーフウェイクラシック」。過去1986年に岡本綾子も優勝を飾っている。2008年度大会を制したのはクリスティ・カー。プレーオフでソフィー・グスタフソンとヘレン・アルフレッドソンを下してツアー通算11勝目を獲得した。25万5000ドルを加算して、カーのランクは15位から9位まで上昇。今シーズン、フランスでの優勝で復活しているアルフレッドソンは、今シーズンの獲得賞金100万ドルを突破して6位となっている。
宮里藍は予選通過ラインとなったイーブンパーに4ストローク及ばない「72−76」で予選落ち。賞金ランクは37位のまま変動はない。日本女子ツアーに復帰している上田桃子は宮里に次ぐ38位に位置している。

賞金ランキング/選手名/獲得額/参加試合数/(前週比)
1位/ロレーナ・オチョア/2,381,048ドル/16試合/変動なし
2位/アニカ・ソレンスタム/1,588,937ドル/17試合/変動なし
3位/ポーラ・クリーマー/1,475,233ドル/20試合/変動なし
4位/ヤニ・ツェン/1,408,502ドル/18試合/変動なし
5位/朴仁妃(パク・インベ)/1,097,081ドル/21試合/変動なし
6位/ヘレン・アルフレッドソン/1,095,441ドル/20試合/2ランクアップ
7位/李宣和(イ・ソンファ)/1,055,975ドル/21試合 /1ランクダウン
8位/崔羅蓮(チェ・ナヨン)/999,538ドル/19試合/1ランクダウン
9位/クリスティ・カー/882,270ドル/19試合/6ランクアップ
10位/張晶(ジャン・ジョン)/874,318ドル/19試合/1ランクダウン
37位/宮里藍/393,830ドル/20試合/変動なし
38位/上田桃子/393,782ドル/17試合/変動なし

★ 女子世界ランキング
昨年「全米女子オープン」でメジャー初優勝を飾ったクリスティ・カーが「セーフウェイクラシック」で今シーズン初優勝を記録。世界ランクは前週の8位から6位にランクアップしている。プレーオフの末2位に終わったスウェーデンのヘレン・アルフレッドソンは14位から9位とトップ10入りを果たしている。
日本女子ツアー「CAT Ladies」で優勝した古閑美保は、1ランクアップの41位と上昇。日本人選手として上位につけている上田桃子は16位、不動裕理は18位と順位の変動はなし。横峯さくらは3ランクダウンの29位、宮里藍は2ランクダウンの35位と順位を少し下げている。

順位/名前/前週比/国籍/過去2年間の出場試合数/平均ポイント
1/ロレーナ・オチョア/−/MEX/48/18.60
2/アニカ・ソレンスタム/−/SWE/40/10.79
3/ヤニ・ツェン/−/TWN/26/8.79
4/スーザン・ペターセン/−/NOR/50/8.78
5/ポーラ・クリーマー/−/USA/54/8.62
6/クリスティ・カー/↑2/USA/50/6.42
7/申智愛/↓1/KOR/57/6.24
8/カリー・ウェブ/↓1/AUS/46/6.05
9/ヘレン・アルフレッドソン/↑5/SWE/33/5.43
10/李宣和(イ・ソンファ)/↓1/KOR/56/5.22

16/上田 桃子/−/JPN/ 65/4.44
18/不動 裕理/−/JPN/42/4.37
29/横峯 さくら/↓3/ JPN/ 66/3.54
35/宮里  藍/↓2/JPN/ 55/3.09
36/福嶋 晃子/−/JPN/ 55/3.04
41/古閑 美保/↑1/JPN/69/2.69
42/大山 志保/↓1/JPN/ 63/2.64
47/佐伯 三貴/↓1/JPN/ 51/2.34
49/諸見里しのぶ/↓1/JPN/63/2.30
53/三塚 優子/↓2/JPN/51/2.09
63/原 江里菜/↓1/JPN/55/1.84
70/飯島  茜/↓1/JPN/69/1.63
72/有村 智恵/↑2/JPN/65/1.58
79/上原 彩子/↓1/JPN/69/1.43
80/茂木 宏美/↓1/JPN/69/1.42
83/馬場ゆかり/↓2/JPN/66/1.36
94/米山みどり/↑1/JPN/61/1.16
95/山口 裕子/↓2/JPN/68/1.16
96/服部道子/↑3/JPN/37/1.12
99/中田 美枝/↓1/JPN/64/1.10
225/ミッシェル・ウィ/↓3/USA/17/0.39


“仙台卒”ワンジル栄冠「我慢、我慢」教え生きた

1ワンジル0

男子マラソンで優勝し、ケニア国旗と聖火を背に笑顔のサムエル・ワンジル=24日、国家体育場

 「我慢、我慢。それができた。完ぺきです」。ゴール直後、日本語で喜びを表した。24日、ケニアに男子マラソンで初の金メダルをもたらしたサムエル・ワンジル選手(21)。日本の高校に“陸上留学”し「我慢すること」を学んだ。一緒に練習し、兄のようだった亡き先輩に金の輝きをささげた。

 ケニアでスカウトの目に留まり、15歳の時に宮城・仙台育英高の留学生として来日。「1年の時はホームシックになった。日本語も大変だった。アニメ番組を見て勉強した」という。

 陸上部の練習で当時の渡辺高夫監督(61)=現総監督=から繰り返し言われたのは「きつくても我慢すること」だった。「ワンジルは朝早く練習に来て、きついことも進んでやった。自分に厳しく、苦しいと言ってきたことはなかった」と渡辺総監督は振り返る。

 慣れない日本でワンジル選手は、陸上部の先輩で同じケニア出身のサムエル・カビルさんを慕った。カビルさんは実業団チームに入り活躍したが2004年7月、病気のため21歳で亡くなった。

 渡辺総監督から伝えられた悲しい知らせ。ワンジル選手は大雨の中で立ち尽くし、ずっと泣いていた。そして「おれは五輪に出る。カビルが出られなかったから、おれが出る」と誓った。

 卒業後も日本で練習を続け、ケニアに戻るたび、自宅から約200キロ離れたカビル選手の墓に参る。渡辺総監督は「ワンジルはカビルの死を背負って強くなった」。

 6月、ワンジル選手から「北京で金メダルを取れなければ、走る意味がない」と聞かされた渡辺総監督。レースの数日前、電話で「体調が万全なら、中盤は我慢、我慢。そうしたら最後に必ず飛び出すチャンスが出てくる」とアドバイスした。

 ゴールしたワンジル選手は胸で十字を切って両手を合わせ、ひざまずいた。「優勝のことをずっと考えていた。次のオリンピックも優勝したい」。笑顔に白い歯がのぞいた。(北京、共同)

◎「これはすごいことになるです」/日本語で喜びの声

 男子マラソンで金メダルを獲得したサムエル・ワンジル選手は、高校1年から3年間、宮城・仙台育英高で過ごした。「ラストは余裕はなかったです。いっぱいいっぱいでした」。日本の報道陣には、にこやかに日本語で喜びを語った。

 レース後の取材エリアには、ケニアや欧米メディアに負けないほど、日本人記者が集まった。「ケニアで初めての金。これはすごいことになるです」。日本語でやりとりする姿に、海外メディアも関心を寄せた。

 「日本語話せるの?」「どうして日本に行こうと思ったの?」。欧米の記者からはこんな質問が飛び、日本人記者にワンジル選手の経歴を聞いてくる記者もいた。

 ワンジル選手は15歳の2002年にケニアから仙台育英高に留学。陸上部に所属し、駅伝やインターハイなどで活躍した。3年生で迎えた04年の全国高校駅伝では、3区で区間新の快走を見せ、「神の領域」と言われた2時間1分32秒の大会新での優勝に貢献した。

 卒業後、トヨタ自動車九州(福岡)入りし、05年仙台国際ハーフマラソンは、当時の世界歴代2位の好タイムで優勝。仙台で培った力を高め、今回の快挙につなげた。

 仙台育英高時代の恩師、渡辺高夫陸上部総監督へのメッセージを求められると、「いろいろ教えてもらった。ありがとうございました」。9月には「日本にあいさつに行く予定」と言う。仙台での金メダル披露も期待したい。河北より

一言 本人の努力とケニアの風土そして「我慢ガマン」という日本のココロを学んでオリンピックで金メダルを獲得した。好きなものは納豆と焼酎だそうです。納豆の粘りと焼酎の爆発力が金メダルを勝ち取ったといえるのかも知れない。

1ワンジル


北京五輪最終日の24日、陸上の最終種目、男子マラソンが天安門広場−国家体育場(愛称・鳥の巣)のコースで行われ、21歳のサムエル・ワンジル(ケニア、宮城・仙台育英高出)が2時間6分32秒の五輪新記録で優勝、ケニア選手で初めてマラソンの金メダルを獲得した。ワンジルは仙台育英高(宮城)に留学し、トヨタ自動車九州に所属していた。

 尾方剛は2時間13分26秒で13位、佐藤敦之(ともに中国電力)は76位に終わった。

 今大会、日本選手の出場は男子マラソンで終了。日本のメダルは金9、銀6、銅10。史上最高成績だった前回アテネ五輪(金16、銀9、銅12)を下回った。

 バスケットボール男子決勝はNBAのスター選手で編成した米国がスペインと対戦し、バレーボール男子、新体操団体などで最後の金メダルが決まる。

 閉会式は日本時間午後9時から国家体育場で行われ、五輪旗が北京から次回2012年大会開催都市のロンドンに引き継がれる。河北より

◆ 北京五輪の陸上は24日、男子マラソンが行われ、サムエル・ワンジル(ケニア)が2時間6分32秒の五輪記録で優勝した。

 日本勢は、尾方剛(35)(中国電力)が、2時間13分26秒の13位。佐藤敦之(30)(中国電力)は2時間41分08秒の76位だった。

 ワンジルは、仙台育英高校(宮城県)に留学し、実業団のトヨタ自動車九州に進んだ「日本育ち」のランナー。



男子マラソン、13位に終わった尾方剛=竹田津敦史撮影 レースは序盤からハイペースで展開。ワンジルら8人が先頭集団を形成し、20キロ地点を59分10秒で通過。30キロ地点手前でワンジル、ガリブ(モロッコ)、メルガ(エチオピア)の3人が先頭集団から抜け出した。

 35キロ過ぎにワンジルがスパートをかけて2人を振り切り、そのままゴールした。2位はガリブ、3位は、メルガをかわしたケベデ(エチオピア)。



スタートする佐藤敦之(左)=田村充撮影 尾方は10キロ地点を34位で通過、20キロを28位、30キロを20位と順位を上げたが、先頭集団には追いつけなかった。

 大崎悟史(32)(NTT西日本)は、左股関節故障のため、23日に出場を断念した。(タイムは速報値)。

( 読売新聞)

一言 ケニア出身とはいえ仙台で高校生活を送った人が世界一になったことは非常に喜ばしいことです。ワンジルはよく駅伝で走っていました。高校時代から他を寄せ付けない速さでした。寒い仙台をよくぞ過ごせたと思います。今後の活躍を期待したいものです。
1原江里菜



NEC軽井沢72最終日(17日・長野県軽井沢72北=6583ヤード、パー72)プロ2年目、20歳の原江里菜が、ボギーなしの7バーディーの65とスコアを伸ばし、通算21アンダーの195で2位に7打差をつけてツアー初優勝、優勝賞金1080万円を獲得した。54ホールでの通算21アンダーは、1998年に服部道子がマークした通算19アンダーを更新するツアー史上日本人最少ストローク。

 2位は李知姫(韓国)、3位は通算12アンダーの横峯さくら。連覇を目指した福嶋晃子と古閑美保は9位、初日トップの福嶋浩子は16位だった。


原江里菜

「早く優勝したいと思っていたし、しかも両親の前で優勝できて、とてもうれしい。何とか大会記録の20アンダーにしようとプレーしてきたが、達成できて満足しています」

原の圧勝だった。この日もスコアを伸ばし通算21アンダー。「途中からスコアしか見ず、20アンダーを目標にした」と振り返ったように、優勝を通り越して、2005年のポーラ・クリーマー(米国)がマークした大会記録の19アンダーの更新に目標を切り替えてのプレーだった。

 2位に7打差をつけてのツアー初勝利の要因は「パットが良かったから」と言う。「昨年まではキャディーさんに聞いていたラインを、今季から自ら読むことでイメージできるようになった」と話す通り、16番(パー5)では10メートルを沈め、この日七つ目のバーディーを奪った。

 これで、ここ5試合はすべてベスト10入りを果たし「今は、構えた時にどこに打ち出したらいいか、ラインの筋が読める」と言い切る。次の目標に掲げる「2勝目」は意外に近いかもしれない。

★原 江里菜(はら えりな、1987年11月7日-)は、日本のプロゴルファー。愛知県豊田市出身。身長164cm、体重60kg、血液型B型。所属はマスターカード、マネジメント事務所はクロス・ビー。得意クラブは、ミドルアイアンおよショートアイアン。師弟関係は、坂田信弘門下および宮里優。ホームコースは、山岡カントリークラブ。家族は、父、母、妹。趣味は、DVD・CD鑑賞、ウィンドウショッピング。好きな色は、黒、青。座右の銘は、『有言実行』、『Go For The Major』。愛称は、ゴルフ界では、「えりな」、「般若」など、一般では、「えりな」、「江里菜たん」など。

2008年現在、東北福祉大学総合福祉学部通信課程3年在学中。

来歴

アマチュアゴルフ界での活躍
1997年、小学校4年・10歳のときに、両親の勧めで当時愛知県にも教室を開設した坂田信弘主催のジュニア・ゴルファー育成組織「坂田塾」に入塾、ゴルフの練習をはじめる。豊田市立若園中学校に進学する頃には本格的に競技ゴルフに参加するようになり、同校3年在学中の2002年には中部ジュニアゴルフ選手権やゴルフダイジェスト・ジャパンジュニアカップで優勝するなど頭角をあらわした。同校卒業後には、宮里藍を慕って南光学園東北高等学校に進んだ。

2003年の高校進学後は宮里兄弟の父・宮里優に師事、国体ゴルフ競技少年の部で団体優勝して、 JGA女子ナショナルチーム(日本代表)に抜擢される。同年、東北高校の2学年先輩である宮里藍がプロトーナメントで優勝を果たしたのを目の当たりにして衝撃を受け、プロゴルファー志向を強めた。

2004年 には、日本女子アマで8強、ネイバーズトロフィー選手権優勝、全国高校ゴルフ選手権優勝、2005年にかけては国体ゴルフ競技少年の部に個人で2連覇し、さらに世界ジュニアゴルフ選手権団体優勝、アピタ・サークルK・サンクスレディス(現ニチレイPGMレディス)6位タイ(ローアマチュア)に入るなど活躍した。

2006年3月の高校卒業後は大学進学の道を選び、在学中いつでもプロゴルフツアーへの参加を認めるという校風に共鳴して、東北福祉大学総合福祉学部社会福祉学科に進んだ。ゴルフ強豪校として知られる同学のゴルフ部に在籍しながら、同年度にも全国女子大学ゴルフ対抗戦や日本女子学生ゴルフ選手権で優勝、アジア大会(ドーハ)に佐伯三貴、宮里美香と出場し女子団体銀メダルを獲得するなど、JGAナショナルメンバーに連続して在籍した4年間を通じて安定した強さを示した。


プロゴルファーへの転身
東北福祉大学1年在学中に、日本女子プロゴルフ協会2006年度ファイナルQT(クオリファイング・トーナメント)で43位となり、 TPD(トーナメント・プレーヤーズ・ディビジョン)非会員登録制度を活用して2007年1月1日付プロツアー登録した。2007年シーズンでは計30試合に出場、賞金3971万7952円を得て賞金ランキング19位となり、2008年度シーズンのシード権を楽に獲得した。

いまだ優勝経験はないものの、ツアーデビュー2戦目の2007年ライフカードレディスゴルフトーナメントで単独2位に入るなど早くも頭角を現し、その後のレギュラーツアーにおいても37試合出場で2位が3回、3位が2回という実力を示している。特に、2008年フジサンケイレディスクラッシックの2日目競技においては、従来の川奈ホテルゴルフコースのコースレコードを2打更新する「64」の新記録で暫定首位に立つなど、その実力と将来ある若さに、女子ゴルフ界の次代をになうプロの一人であるとされている。

また、単位取得実績がまだ乏しい大学1年生でのプロ転向であったため、プロツアーと両立して単位取得・卒業したいとの意向から、2007年4月の新学期より、所属学部を総合福祉学部社会福祉学科通信課程(通信教育部)に転属している。


契約関係
2007年1月のプロツアー登録を受け、同年2007年3月1日、下村真由美、日下部智子、青山加織などのマネジメントを行うクロス・ビーと、自動更新による期限の定めのないマネジメント契約を締結した。同年3月29日には、マスターカードと、同社のイメージキャラクターとして2ヵ年の所属契約を締結した。

2008年1月には、社会人アメリカンフットボールチームシーガルスなどでトレーナーを務めている鈴木紗織と、トレーナー契約を締結し、バランスボールなどを使った体幹強化訓練を続けいる。


人物

性格
プライベートではおっとりした性格で、あまり騒々しい場所に出掛けるのは好まず、休日には自室で静かにDVDで映画やドラマを、CDで楽曲を鑑賞するのを好む。 ウィンドウショッピングも好むが、決して衝動買いはせず、店頭で気に入ったものがあっても、一旦帰宅してから冷静に吟味し、必ず日を改めて購入する。

物離れが悪く、衣料や雑貨に至るまでなかなか捨てることができない。特に、一度自分が気に入ったものや他者からプレゼントされたものに関しては、たとえ破損・変色しても使用し続けることがしばしばある。

あまりにも、物を捨てられないため、母親に「部屋が汚い」として自室の古物を勝手に処分されてしまうことがしばしばある。


打風
ゴルフに関しては負けず嫌いで、長時間の練習を欠かさない。ドライバー飛距離は240ヤードを軽く超え、豪快な打棒ばかりに注目が集まるが、自身が好きな番手はミドル~ショートアイアンであり、アプローチやパターでしばしばショットメーカー的な器用さを見せる。

基本的には、テークバックからトップにかけて目線がぶれず、両肘の間隔が保たれながらしっかりと左肩が入ったトップを形成する。トップ下、ダウンスイングからインパクト、フォローにかけての右サイド、右ひざの送り込みには無駄な力の分散が見られず、フィニッシュにおいては肘の間隔が大きく開くことなく右サイドが回りきり左にしっかり乗り切る綺麗なスウィングである。


他選手との交流
東北高校在学中からの縁で、2学年先輩の宮里藍を尊敬の念を持って慕っている。 また、同学在学中から常に一緒に行動していたほどの同級生親友である有村智恵、佐藤のぞみとは特に親しく、ツアー中からプライベートまでしばしば行動をともにしている。

所属している東北福祉大学の2学年先輩である佐伯三貴とは、佐伯の在学中、ゴルフ部活動やJGAナショナルチーム活動を一緒にしていた上に佐伯の後輩への面倒見が良いため、佐伯を非常に慕っており、ツアー中もしばしば行動をともにしている。

プロ転向後は、有村智恵や佐伯三貴とのつながりから、大山志保、前田久仁子、山口裕子、高橋美保子、古閑美保、北田瑠衣、諸見里しのぶらと親しく、頻繁に同じ写真のシャッターに収まる。デビュー直後の額の真中で分けるヘアスタイルや、見上げる時の風貌から連想して、古閑美保らに「般若」というニックネームを与えられている。

また、所属するマネジメント事務所クロス・ビーが同じであることから、下村真由美とも親しい。


年度別成績
年 度 出場試合 年間獲得賞金 順位 平均ストローク 備 考
2007年 30試合 39,717,952円 19位 73.2601 日本女子プロゴルフ協会 TPD非会員登録
2008年 8試合 10,238,000円 16位 72.9565 日本女子プロゴルフ協会 TPD非会員登録


おもな戦歴

アマチュア時代
2002年 中部ジュニアゴルフ選手権 女子12〜14歳の部 優勝
2002年 ゴルフダイジェスト・ジャパンジュニアカップ 女子12〜14歳の部 優勝
2003年 国民体育大会・ゴルフ競技 少年女子の部 優勝
2004年 ネイバーズトロフィー選手権 優勝
2004年 全国高等学校ゴルフ選手権 優勝
2004年 国民体育大会・ゴルフ競技 少年女子の部 優勝(2)
2004年 日本女子アマチュア選手権 ベストエイト
2005年 アピタ・サークルK・サンクスレディス 6位 T(ローアマチュア)
2005年 世界ジュニアゴルフ選手権 優勝
2005年 全国高等学校ゴルフ選手権 優勝(2)
2005年 日本ジュニアゴルフ選手権競技 女子15歳〜17歳の部 優勝
2005年 国民体育大会・ゴルフ競技 少年女子の部 優勝(3)
2006年 全国女子大学ゴルフ対抗戦 優勝
2006年 関東女子学生ゴルフ選手権 優勝
2006年 日本女子学生ゴルフ選手権競技 優勝
2006年 アジア大会(ドーハ) 団体銀メダル
2006年 関東女子大学秋季対抗戦 優勝

ナショナルチーム選抜履歴
2002年 JGA女子ナショナルチーム 育成部員
2003年 JGA女子ナショナルチーム メンバー
2004年 JGA女子ナショナルチーム メンバー
2005年 JGA女子ナショナルチーム メンバー
2006年 JGA女子ナショナルチーム メンバー

プロ転向後
2007年 ライフカードレディスゴルフトーナメント 2位
2007年 ヴァーナルレディース 3位
2007年 We Love KOBE サントリーレディスオープンゴルフ 3位
2007年 大王製紙エリエールレディスオープン 2位タイ
2008年 フジサンケイレディスクラシック 2位
2008年 NEC軽井沢72 優勝

出演

TV番組
「横峯さくら・浅尾美和のゴルフな気分」 (テレビ東京系)

ゴルフ・トレーニング
マネジメント事務所が同じクロス・ビーである縁で、2008年1月10日から1月25日にかけて、MLBヤンキースの井川慶投手が中心となったクロス・ビー所属選手による自主トレに参加し、同トレーニングで同道したプロ野球、阪神タイガースの岩田稔・ロッテの田村領平投手、女子ゴルフの青山加織と知己になった。特に、2008年4月、岩田が、持病の1型糖尿病を克服し、公式戦初勝利を挙げると、感動し勇気を得たことに言及している。
ビジュアル系プロとされる鈴木舞子は、東北高校の4学年先輩であるが、原の2007年ライフカードレディスゴルフトーナメントにおける活躍を見て、「後輩たちはかわいいですけど、負けたくない気持ちはありますよ」と言及した。


外部リンク
日本女子プロゴルフ協会 プロフィール
日本ゴルフ協会 プロフィール
原江里菜公式サイト・ブログ
http://www.haraerina.com/
ゴルフダイジェスト誌 インタビュー

仙台育英力尽きる 9回暴投で痛恨の失点

横浜―仙台育英 9回表横浜1死二、三塁、仙台育英・木村(右)の暴投で三走中原が生還し、勝ち越しを許す

 ▽3回戦(第4試合)
横浜(南神奈川)
  001000101=3
  100100000=2
仙台育英(宮城)
▽二塁打 橋本▽犠打 倉本2、松本、岩間2、遠藤、加藤2、鈴木▽盗塁 大石、松本、中原、小野▽失策 木村▽暴投 穂積、木村
▽試合時間 2時間32分

 【評】仙台育英は惜しくも競り負けた。2―2の9回1死二、三塁で好投していた2番手木村が暴投、決勝点を与えた。
 打線は初回に先制。1―1の4回は1死一、三塁から佐々木の左前打でいったんは勝ち越した。先発穂積は3回途中で降板、木村が威力ある直球とスライダーで6回まで横浜打線を無安打に抑えていた。しかし、7回に犠飛で追いつかれ、9回に力尽きた。

◎若いバッテリー奮闘及ばず

 春夏5度の全国制覇を誇る横浜に、仙台育英の1年木村―2年高橋のバッテリーは、気迫で立ち向かった。が、結末はあまりに残酷だった。

 2―2の9回、2安打と犠打、盗塁で1死二、三塁のピンチ。打者を2―2と追い込み、2人は空振りを狙って低めのスライダーを選択した。

 これがワンバウンドの暴投。高橋が必死に止め、球は打者付近にあったが、見失う間に三走が生還、勝ち越しを許した。

 「要求通りだったのに…。自分が捕れなくて先輩たちの夏を終わらせた」。高橋は辺りはばからず号泣。木村も「終盤から下半身の粘りがなくなり、抑えが利かなくなった。スタミナ不足」とうつむくしかなかった。

 2人の出番は3回2死満塁でまわってきた。横浜打線に対し、高橋は「本当は怖かったけど攻めた」と強気にリード。木村も「負けてたまるか」と度胸あふれる投球で見事にしのいだ。

 下級生の奮闘に3年生も意地を見せる。これまでの2戦いずれも死球を受け、途中交代していた右翼手佐々木が4回にいったんは勝ち越しとなる左前打。6回はダイビングキャッチでもり立てた。「ずっと助けてもらったので恩返ししたかった。(2人には)感謝したい」と、初戦から活躍した後輩をねぎらう。

 敗れはしたが、優勝候補相手に堂々の戦いぶり。佐々木監督は背番号11の左腕を「真っ向勝負で本当に良かった」とたたえ、暴投も責めなかった。最後の打者になった木村は悔しさを胸に誓う。「いい経験になった。もっとスタミナをつけて来年戻ってきたい。横浜には、今度は負けない」(中村紳哉)

<4番加藤、2安打1打点の活躍>
 仙台育英の4番加藤が先制の中犠飛を放つなど2安打1打点と活躍した。
 先制犠飛は初回、二塁打と犠打で三進した橋本を生還させた。試合前、「(橋本)到が出塁して中軸で返し、相手投手の立ち上がりをたたきたい」と話していた通りの展開だった。

 宮城大会は打率1割6分7厘と不調。それでも「ピンチで戦うために練習してきた。プレーする楽しさを笑顔で表現したい」と苦しい表情を見せず、4番の重責を担い続けた。後輩には「1、2年生がいなかったらここまで勝ち残って来られなかった。来春の選抜ではベスト8以上を狙ってほしい」。最後まで笑顔を失わなかった。

◎展開最高だったが
 仙台育英・佐々木順一朗監督の話 予想していた中で最高の展開だった。橋本が出塁して先制しロースコアの争いになった。最後はライナーが正面を突いたり、守備でフライを見失ったりと運が向こうにいった。こんなに楽しくプレーしている生徒たちを見るのは初めてだった。

◎野球に熱中できた
 仙台育英・橋本到主将の話 最後の甲子園はものすごく野球に熱中できた。ピンチでも笑顔を絶やさずにプレーする自分たちの野球が、貫けたと思う。このチームは(秋季宮城県大会東北戦の)コールド負けから始まった。ここまで来られたことをみんなに感謝したい。


一言 <嫌味>一回に2つ(ショートのフライエラーと暴投)もエラーすれば点は入る。「どうぞ点を差し上げます。」と言って負けてしまった。打たれて負けるのは仕方ないがエラーで負けるのは止めて欲しい。精神も肉体ももっと鍛えて欲しい。

1北島



◆北京五輪第4日の11日、競泳の男子100メートル平泳ぎ決勝で北島康介(25)=日本コカ・コーラ=が史上初の58秒台突入となる58秒91の世界新記録で金メダルを獲得し、1968年メキシコ五輪から採用された同種目で初めて2連覇を果たした。

 今大会で日本の金メダルは柔道男子66キロ級で2連覇した内柴正人(旭化成)に次いで2個目。

 前回のアテネ五輪で100、200メートル平泳ぎ2冠の北島は競泳日本選手で最多となる3個目の金メダルを獲得。1928年アムステルダム、1932年ロサンゼルス両大会の200メートル平泳ぎを制した鶴田義行らを抜いた。

 北島は50メートルの折り返しは3位だったが、後半に一気に巻き返し、59秒13の世界記録を持っていたブレンダン・ハンセン(米国)や10日の準決勝で59秒16の五輪新を出したアレクサンドル・ダーレオーエン(ノルウェー)らを下した。2位のダーレオーエンは59秒20、ハンセンは59秒57の4位だった。

 北島が世界新記録を樹立したのは5度目で、200メートルと合わせて2種目の世界記録保持者に返り咲いた。

 バドミントン女子ダブルス準々決勝では末綱聡子、前田美順組(NEC・SKY)が前回覇者の中国ペアを破り、日本勢で初めて4強入りした。 河北より

 「蛙王・北島康介がやった!」――中国で「蛙王」と呼ばれる北島康介選手が、11日午前、国家水泳中心(通称・水立方)で行われた男子100メートル平泳ぎ決勝で、58秒91の世界新記録で優勝し、アテネ五輪に続く2連覇を果たしました。満員に埋まった観客席は大いに沸きあがりました。

「すごすぎる」の声


飛び込みの瞬間。北島選手は中央です 中国で平泳ぎは「蛙泳(ワーヨン)」、北島選手は中国で平泳ぎの王様、「蛙王」として広く知られています。その蛙王、北島選手が世界新で金メダルを決めた瞬間、スタンドは「やった」「北島すごすぎる」といった日本人の喜びの声、そして「好!(ハオ)」という中国の水泳ファンの賛美の声が聞かれました。

 第5コースでスタートした北島選手、残り30メートル付近で抜け出し、58秒91の世界新記録で優勝。タッチの瞬間は、観客の多くが立ち上がって、「すごい」「やった、本当にやってくれた」と喜びの涙をためながら喜ぶファンの姿が多く見られました。「日本の誇り」と日本人が喜びの声を上げると、中国の水泳ファンは「好」と小さくうなずく人の姿が多く見られました。



「超気持ちい〜 再び」の旗を持って応援席からもガッツポーズ! 私の隣に座っていた20代の中国人女性は「蛙王・北島選手は中国でも知名度が高い。とてもクール。プレッシャーを跳ねのけ金メダルは凄いわ、おめでとう」と話してくれました。中国メディアは北島選手の金メダルを、「不振の続く日本を蛙王が奮い立たせた」「蛙王の名にふさわしく、北島世界新で金」などと速報されています。

 君が代が流れ、日の丸が一番高く上がる姿を現場で見ていると、私自身も熱いものがこみあげてきました。プレッシャーをはねのけての、堂々の金メダル。中国、世界の水泳ファンにもその雄姿はしっかり焼き付けられたようです。

 蛙王の名をもつ北島選手のガッツポーズを再び見ることができるのでしょうか、200メートル男子平泳ぎ決勝は14日午前、同じく水立方で行われます。

( 読売新聞)
1北


◆挫折から、五輪史上初となる男子100メートル平泳ぎ2連覇のストーリーは始まった。

 「もう1回同じ場所に立てた喜びがあるんです」

 06年7月上旬、のどを痛めて入院した。2冠を果たした04年アテネ五輪以降、虚脱感に苦しみ、体調を崩した。

 「やめたい」と友人にこぼし、スタッフの一人からは「やめたら」と突き放された。頼りにしていた平井伯昌コーチは、8月の国際大会の直前合宿のため、チームメートを連れて先に出国した。

 北島は一人、復活の道筋を考えた。「前向きに考えよう。チャレンジしていこう」

 アテネ前から続くひじやひざの不安があった。アテネ後はライバルのブレンダン・ハンセン(米)に連戦連敗だった。昨年は太ももの肉離れに襲われ、今年はフォームを改造して肩を痛めた。北京では準決勝でダーレオーエン(ノルウェー)に0秒39の差をつけられた。

 いくつもの逆境を乗り越え、頂点に返り咲いた。

 「以前の僕とは違う。故障しないまま突っ走っていたら、今の自分はなかった」

 2連覇した北島を、天才というのはやさしい。だが挫折はいつもあった。

 平井コーチとの歩みも、挫折から始まった。中学2年で見いだされたが、直後に体育の授業で骨折。指導を受けるのを翌年まで待った。

 体が硬く、体力測定も平均以下だった。「チーム平井」の参謀役、岩原文彦・日体大助教は平井コーチに尋ねたことがある。「どうして康介なのですか」

 評価されたのは、素直に努力する姿勢だった。

 アテネ以降の北島はオフに水泳教室を開き、子供に頑張る大切さを伝えた。代表合宿で脳科学などの講義にも熱心に耳を傾けた。

 「世界で戦うには、泳ぐだけではだめ。子供から応援されると、頑張らなければ、となる。『これはいらない』と思う講義でも、自分で考えることが大切」

 少年時代に平井コーチから授かった教えも守っている。「誰からも好かれろ」

 金メダリストになっても、率先して練習後のかたづけをした。トレーナーの加藤明生さんは「いつもきちんとお礼を言ってくる」。大会では仲間のために声をからした。

 05年世界選手権男子200メートル平泳ぎの銅メダリストで、4月に引退した今村元気さんは言う。「康介のことを悪く言う人を見たことがない」

 だから、口べたでも競泳陣の主将に選ばれた。

 競泳日本選手最多となる3個目の金。

 「アテネより気持ちいい。(前人未到の)58秒台を出せたから、自分の中で喜んでもいいと思う。充実感でいっぱいです」

 世界記録を持つ200メートルで、集大成の泳ぎを目指す

一言 有言実行、北島は偉い。「金メダルを取らないと日本に帰ってこれない。」と6月ごろ言って自分自身にプレッシャーを掛けて戦った。そしてそれを見事に成し遂げるのだからたいしたものだ。


1谷10


金メダルロードは、万全のはずだった。しかし、準決勝で、まさかの敗戦。「ママでも金」を目指して畳に上がった谷が、アトランタ以来、12年ぶりに五輪の魔物にのみ込まれた。

 2005年の大みそかに長男を出産した。「子供を産んでも、また柔道ができるというところを見せたい」と、谷は、子育てが一段落してから本格的に畳の上に帰ってきた。

 だが、微妙に何かが違う。

 昨年4月、休養を経て出場した全日本選抜体重別で負けた。実績を買われて、世界選手権代表に選ばれたが、まだ、長男への授乳も終えていない中での試合で、自らへの限界も感じたのだろう。関係者にポツリと漏らしたことがあった。

 「ああ終わったなと思ったのに、選ばれちゃった。私はいつまでやったらいいんですかね」

 自問にも聞こえる一言は、自らが進むべき道を迷ったことの証しでもあった。

 だが、周囲は、谷に「YAWARA」を演じ続けることを求め続けた。子育てと並行しながらの競技生活はつらいが、止まることはできない。最近は「応援してくれる人のために戦う」と口にすることが多くなった。表向きは「調子は本当にいいです」と話していても、裏で「1日何時間あっても足りない」とこぼすこともあった。

 「シドニーで念願の金、アテネは完璧(かんぺき)な金。北京はこの二つを超えたい」と話していた谷だが、予想外の敗戦を喫したアトランタの悪夢が繰り返された。勝負事に「絶対」はない。大本命と言われた谷に対しても、それは同じだった。

( 読売新聞)
メダルの色が、違った。

 「全力を出した結果ですから、すごくうれしい思いです」。精いっぱい絞り出した言葉。無念の思いがにじむ。

 準決勝のドゥミトル戦。お互いに組み合わず、「待て」がかかった。試合は終盤。「指導」を受けたのは谷だけだった。一瞬、あれっという顔をした谷が猛然と反撃に出る。

 だが遅かった。

 北京まで応援に駆けつけた長男、2歳7カ月の佳亮(よしあき)ちゃんに、ママは世界一の報告が出来なかった。

 昨年の世界選手権で「ママでも金」を達成した。今大会も「調子は良かった」という。ただ、一抹の不安はあった。4月の全日本選抜体重別選手権は山岸絵美に完敗。山岸が所属する三井住友海上の柳沢久監督はこう説明した。

 「実はしっかり組まれると谷は弱いんだ。組んでしまったら投げられるという、みんなの昔のイメージとは違う」

 9月に33歳になる。以前は柔道着をつかんで組んだら確実に相手の動きを封じていたが、その力は確実に衰えている。それを最も分かっているのは谷自身だった。だから、組み合いを避けた。それが落とし穴だった。

 特別の思いで臨んだ5度目の五輪だった。

 05年末に佳亮ちゃんを出産した。妻であり、母である谷は「きちんと主婦をしているから柔道をさせてもらえる」と考える。北京に向けて本格復帰したのは昨年春。全日本合宿では、ほかの選手が寝ている間に、眠い目をこすって3時間おきに授乳した。練習後、どんなにおなかが減っていても子どもの離乳食が先だ。睡眠時間を削って育児と柔道に取り組んだ。

 奮闘ぶりは、家庭を持って働く女性への支援が乏しい社会への強烈なアピールだった。彼女たちは、自分たちの思いを谷に重ねた。届いた激励の手紙は段ボール箱いっぱいになった。

「お母さん方の気持ちを感じながら畳に上がった」と言って目に涙を浮かべ、「5大会連続出場できたことを誇りに思う」と声を震わせた。今後のことについては「また主婦がしたい」。冗談を言ったあと、「1人では決められない」。

 金メダルには届かなかったけれど、ママは一生懸命に戦った。微妙な判定にも抗議のそぶりさえみせず、きちんと一礼して畳を下りた柔道家のママを、佳亮ちゃんは大きくなってきっと誇りに思うだろう。(柴田真宏)

 【夫の佳知さん(プロ野球巨人)の話】 まずはお疲れ様でしたと言わせて下さい。アテネで金メダルを取った後の4年間は本当によく頑張った。子供が生まれてから子育て中心の生活に追われながら、弱音を吐かずに練習する姿にパワーをもらったのは僕だけではないはずです。目標のメダルの色とは違いましたが、僕には金色に輝いて見えました。 Asahi.comより

一言  準決勝のドゥミトル戦は明らかに誤審である。指導は両者に来るべきであった。谷自身も納得いかない様子であったが、猛然と挑んでいったが結果は指導の分負けであった。そしてコーチも監督も抗議に行けよ。何しに北京まで来てるんだ。幼稚園の付き添いではないだろう。全くいざという時役に立たないのだから。結果はどうあれ国民を納得させてくれよ。其の後谷は恨み言一つ言わずに去ったのは立派であった。

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北京五輪:3万発の花火で開幕 204カ国・地域が参加
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旗手の福原愛選手を先頭に入場行進する日本選手団=中国・北京市の国家体育場で2008年8月8日午後9時21分、平田明浩撮影

開会式に彩りをそえる花火=北京市の国家体育場周辺で2008年8月8日午後8時、矢頭智剛撮影 驚異的な成長を続けてきた「巨龍・中国」の真価が問われる時が来た。第29回夏季オリンピック大会は8日午後8時(日本時間午後9時)、北京で開幕した。過去最多の204カ国・地域から1万1193人の選手が参加、社会主義国の下で史上最大の五輪が実現した。人権問題に注がれる海外からの厳しいまなざしと、内なるテロへの不安。さまざまな矛盾を抱えつつ、夜空を彩る3万発の花火が祭典の始まりを告げた。

 午後8時。花火の音と光を合図に開会式が始まった。フィールドに白く光る五つの輪が浮かび上がった。

 会場中央の球体に地球が描かれると、世界の人々の笑顔が周りを囲んだ。政治色は影を潜め、悠久の歴史と現代の躍進、そして平和をアピールするパフォーマンスが続いた。

 午後9時過ぎ、ギリシャを先頭に選手が入場してきた。339人の日本選手団は23番目。中国でも人気がある卓球の福原愛選手(19)が旗手を務め、選手たちは日中両国の小旗を振り笑顔で行進した。直前にブルネイが不参加となったが、参加国・地域は前回アテネ五輪の202を上回った。24日の閉幕まで28競技302種目で熱戦が繰り広げられる。

 すでに競技が始まった男女サッカーを除き、第2日の9日からは17競技で本格的に大会が幕を開け、04年アテネ五輪後の4年間で培った技と力を競う。午前10時(日本時間同11時)開始の重量挙げ女子48キロ級の三宅宏実(アセット・マネジャーズ)が日本勢のメダル第1号有力候補。柔道女子48キロ級では、五輪3連覇をかけて谷亮子(トヨタ自動車)が出場する。

仙台育英、継投巧み 菰野の反撃をかわす
1育英

仙台育英―菰野 7回途中まで菰野打線を無失点に抑え、初戦突破に貢献した仙台育英の先発穂積=甲子園

 第90回全国高校野球選手権大会第7日は8日、甲子園球場で1回戦を行い、第1試合は3年連続出場の仙台育英(宮城)が4―1で3年ぶりに出場した菰野(三重)に快勝して2回戦へ進んだ。

 仙台育英は1回、1番橋本到の三塁打を足場に1点を先制。5、6回にも加点し、穂積優輝―木村謙吾の継投で菰野の反撃をかわした。仙台育英は毎回安打で、3年連続の初戦突破。

 1回戦最後となる第2試合は福井商(福井)と酒田南(山形)が対戦。
 1回に2点を先制された酒田南は6回に1点を返して1点差に詰め寄ったが、8回、無死二、三塁からスクイズを決められ、再び2点差とされた。

<戸沢、強気のリード光る>
 戸沢が巧みなリードで穂積の好投を支えた。光ったのは強気のインサイドワーク。「今日は甘い球もあったけど、うまく抑えてくれた」と振り返った。

 6回が象徴的だ。1死一、二塁で2回に安打を許した小谷を迎えての投球。1―1から内角を2球続けて2―2と追い込み、最後は外角のスライダーで三振に。胸元をえぐる球が効いた。「あれぐらいやらないと、穂積の直球は全国に通用しない」。力で押すだけでは、甲子園で勝てないことを知っている。

 継投とともに捕手も交代するのが仙台育英の戦術。この試合も7回途中で退いた。「最後まで出たいですけどね」とちょっと残念そう。「だからこそ穂積には長い回踏ん張ってほしいんです」と話した。

 ▽1回戦
仙台育英(宮城) 100021000=4
菰野(三重)   000000001=1
(仙)穂積、木村―戸沢、高橋
(菰)西―上部
河北より